管理人の自己対話トレーニング

管理人の自己対話トレーニング

カクヨム近況ノートより転載。

人生は圧倒的に説明が足りない

人は生まれてから、割と早い段階で言葉を話せるようになる。しかし最初は知らない物だらけなので、周りの大人などに多くの質問をすることになる。「これは何?」と指さして質問することは、自分が子どもの頃にもしただろうし、大人になってから何度も答えなければならないこともあるだろう。私が書いている「~とは何か?」とも似ている。しかし子どもの初期の簡単な質問には、「りんごだよ」「カメラだよ」「コーヒーだよ」などと、物の名前を答えると満足してくれることが多い。

しかし子どもの「これは何?」への答えが複雑になることがある。名前を答えても、「どうやって使うの?」「何のためにあるの?」といった質問が続く場合だ。こうした質問に対しては、ちょっと長い説明が必要となる。難しい質問に対しては「完全に説明すると長くなってしまうけれど、簡単に言うと〜ということだよ」。と答えなくてはならなくなってしまう。この段階ですでに説明が省略されつつある。時間が無限にあれば可能だが、1日は短い。こうなると説明が必要となる質問は、私が書いている「~とは何か?」とほぼ同じだ。

その後の人生は、質問や疑問だらけ、それに対して説明は圧倒的に不足したままの状態に放置される。説明不足を感じる子どもは、本を読んだりインターネットで調べたするかもしれない。そこでは世の中の多くの物事について、生まれる前の歴史から現在の詳細な事情まで、不足していた説明を補うことができるだろう。

しかしその後、人は大人になるにつれ、自分でなければ説明できない質問に直面する。「自分は何?」「自分とは何か?」。この質問に対しては、あらゆる分野に関する答えが有り得る。面接での自己紹介のような公的なものもあれば、個人的な悩みとその解決の進み具合などプライベートなものまで様々だ。プライベートな事であれば、答えは自分が納得するようにいくらでも自由に考えることができる。自分だけ納得できる説明を作ればよい。

さらに他人を巻き込んだ質問に展開すると、事態は複雑になる。「あなたは何?」「あなたとは何か?」。こんな質問を自分が他人にしたり、他人が自分に質問したり、ということが起こりうる。多くの場合、「完全に説明すると長くなってしまうけれど、簡単に言うと〜という感じ」という風に答えるしかない。ここでも説明不足が生じる。時間が無限にあれば可能かもしれないが、1人の相手にどれだけ、自分のことを説明する時間をとることができるだろうか。

社会に出るとさらに説明不足のまま、勢いで実行しなければならないことが増えてくる。社会的な課題ともなっているが、働き方や結婚、子育てなど、もっと説明が欲しいという問題が多い。自分で納得いくまで考えることも必要だ。しかし家族や社会への説明を納得いくまでするということはできるだろうか。家族や社会から自分が納得するまで完全な説明を受けるということは可能なのだろうか。そもそも家族や社会は完全な答えを持ち合わせているのだろうか。

人生における説明不足は、これだけにとどまらない。つきつめればいくらでも説明したい・されたいことがある。私が書いている「~とは何か?」は余計な質問を増やしつけている。説明への渇望へはどう対処すべきか。まずは質問を言葉にしてみること。自分でその答えを考え抜いたり、他人に説明してみたり、他人に説明をお願いしてみることも役に立つだろう。

他人に説明をお願いする場合には、その前に自分で考え抜てい置いた方が話が早いだろう。相手に対しては、理解力に関する疑いを持つこともあるだろうが、そういう気持ちは抑えたほうが良さそうだ。

こんな感じで、人生には圧倒的に説明が足りていない。言葉の不足とも言える。プライベートな感覚については、ネットで調べることもできない。そんな時おすすめなのが、「~とは何か?」と普段から考え続けること。くりかえし余計なことについても、「~とは何か?」と考えることが有用だと考えている。

タイトルとURLをコピーしました